「ラガーフェルドからブレイジーへ」──そう聞くと、あるひとりの存在を“飛ばしてしまっている”ように感じる方もいるかもしれません。
もちろん、カール・ラガーフェルドの逝去後、自然な流れでシャネルのアーティスティック・ディレクターを引き継いだのは、彼の右腕として長年そばにいたヴィルジニー・ヴィアールでした。
彼女の5年間は、派手な刷新というよりも、静かな継承と、シャネルの職人技や女性らしさへの深い理解に満ちたものでした。
それでも今回、あえて「ラガーフェルドからブレイジーへ」というタイトルを選んだのは、どちらも“外部からの起用”という点で、シャネルというメゾンに大きな転換をもたらす存在だと思ったからです。
その選択の重みやブランドの意図を、時代の流れとともに紐解いていきたい──そんな思いを込めています。
シャネルに新しい風
ついにシャネルの新しいアーティスティック・ディレクターが発表されました。
その名はマチュー・ブレイジー。
直近のカール・ラガーフェルドの右腕であり当然のごとく彼の後を継いだヴィルジニー・ヴィアールのように、メゾン内部の人間ではなく、外部からの起用でした。
候補者が数名各メディアや個人のSNSでも予測されており、いつ発表がされるのだろうかと日々そわそわとしていた自分がいて──このニュースに、ぐっと胸が高鳴ったのも事実です。
シャネルというブランドの「次の章」が、いよいよ開かれようとしている。そんな空気が感じられます。
外部起用という選択──“再演”される革新のシナリオ
今回のマチュー・ブレイジー就任で印象的だったのは、“内部”の人ではなく、“外部”の才能にシャネルが託されたという点。
この構図、実はどこかで見覚えがあると思った方も多いのではないでしょうか。
そう──1982年、カール・ラガーフェルドがシャネルのアーティスティック・ディレクターに就任したあのときです。
当時、シャネルはココ亡き後のブランドとして「伝説」ではあったものの、“生きているブランド”としての存在感はやや停滞していたとも言われています。
そんな中、メゾンは内部昇進ではなく、全く異なる世界観を持ったラガーフェルドを招き入れました。
彼はその後の初コレクションについて、こんなふうに語っています。
古い演劇の復活をするようなものです。最初の観客の目で見ようとしなければなりませんが、あまり畏敬の念を持ってはいけません。
出典:CHANEL CATWALK Thames&Hudson
この言葉に、彼がどれほど“シャネル”という遺産に敬意を払いつつも、それに飲み込まれない冷静さと大胆さを持っていたかが現れています。
そして今回、メゾン内部の継承者ではなく、あえて“外部の目”を持つマチュー・ブレイジーを選んだことは、まさにあのときの判断の再来とも言えるでしょう。
シャネルは今、再び「古い演劇の復活」を試みようとしているのかもしれません。
ただし、それは単なる懐古ではなく、「いま」を生きるための、洗練された“再演”なのです。
カール・ラガーフェルドの初コレクションと、その“再解釈”の精神
1983年、カール・ラガーフェルドがシャネルで初めて手がけたオートクチュールコレクションは、当時のパリで大きな話題になりました。
ヴォーグは「誰もがシャネルについて話している」と書き、ファッション界がざわついた瞬間です。
カールが大切にしていたのは、“再現”ではなく“再解釈”。
マドモアゼル・シャネルの服のラインをそのまま復活させることが目的ではない。伝統には敬意を払いつつ、少しずつ変えていく。だってココ・シャネル自身が、当時としてはとても現代的な人だったから。
出典:CHANEL CATWALK Thames&Hudson
興味深いのは、彼がインスピレーションの源としていたのが、よく知られる1950年代の“お決まり”スタイルではなく、より自由で挑戦的だった1920〜30年代のシャネルの作品だったこと。
私自身、その1920〜30年代のシャネルの魅力を改めて見つめ直したくて、当時のルックを参考に、イラストを3点描き起こしました。
どれも、シャネルが“まだ伝説になる前”の、モダンで機能的なスタイルです。

参考:完全版 CHANEL BOOK エマ・バクスターライト 訳川島ルミ子 さくら舎
(左)1922年シフトドレス 大流行した不均等な裾が特徴。メタリックゴールドと黒い糸の刺繍
(中央)1925年フラッパードレス ローウエスト、サイドにサッシュ、シルクシフォン、クリスタルビーズ、明るい赤
(右)1919年ストレートドレスに施された漆黒のビーズ 幾何学模様のアール・デコ
ラガーフェルドは「最近、私はシャネルモードに接続されたコンピューターのようなもの」とも語っています。まるで彼女の思想を読み取り、時代にあわせて再プログラムしていく存在のように。
──そして今、またあのときと同じように、シャネルは新たな“外部のデザイナー”を迎えました。マチュー・ブレイジーがどんなふうにこのメゾンの“コード”を解釈し、どんな更新をかけていくのか。
私たちは、再び「誰もがシャネルについて話している」瞬間に立ち会えるのかもしれません。
ヴィルジニー・ヴィアールが担ってきた5年間とは?
カール・ラガーフェルドの逝去後、自然な流れでアーティスティック・ディレクターを引き継いだのが、彼の右腕だったヴィルジニー・ヴィアールでした。
彼女のシャネルは、カールの時代とはまた異なる“静けさ”と“繊細さ”がありました。
派手な話題性よりも、クラフツマンシップへの敬意や、女性らしさへの細やかなまなざしが感じられた5年間だったと思います。
一方で、「もう少し冒険してほしい」という声が聞こえていたのも事実。
その慎重さは、カールという“巨星”のあとを継ぐというプレッシャーゆえだったのかもしれません。
マチュー・ブレイジーとは何者か?
マチュー・ブレイジーの名前を聞いて頭に浮かんだのは、ボッテガ・ヴェネタ時代のあの構築的で、そしてどこか哲学的でもあった美しさでした。
無駄のないフォルム、素材感の探求、静かなる革新──彼の作るモノには、“語りすぎない洗練”が宿っていたように思います。
では、そんな彼がシャネルをどう解釈し、どんなアップデートを加えるのか?
クラシックなツイードやカメリア、そしてココ・シャネルの思想とどう向き合うのか?
期待と同時に、今はまだ想像もつかないワクワクがあります。

“継承”と“革新”のバランスに期待して
1983年、カール・ラガーフェルドがシャネルに新たな息を吹き込んだとき、「誰もがシャネルについて話している」とヴォーグが評したように──
今、私たちはまた、あの熱を体験しようとしています。
マチュー・ブレイジーがどんな一手を打つのか。
どんなファーストルックが飛び出すのか。
そして私たちは、どんな“新しいシャネル”に出会うのか。
それを見届けられるこの瞬間が、すでに特別だと感じています。
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