1. はじめに──“過去”を美しくするブランド
シャネルのメティエダール・コレクションは、毎年ある特定の都市や文化に焦点を当てています。
それは単なるインスピレーション源ではなく、過去に語られなかった美しさや、忘れられかけた技術を現代の語り口で編み直す“文化の編集”行為だといえるでしょう。
ダカールの鼓動も、マンチェスターの記憶も、杭州の詩情も──CHANELのアトリエで仕立てられる服において再び息づいています。それは「美を着る」というより、「記憶をまとう」ことに近いのかもしれません。
なぜCHANELは、ここまで巧みに“過去”を未来へと接続できるのでしょうか?
本稿では、メティエダール・コレクションを「文化資本」「記憶の装置」として捉え、その思想と仕掛けを読み解いていきます。

2. CHANELの“文化外交”としてのメティエダール
メティエダール(Métiers d’art)とは、シャネルが誇るアトリエ職人たちの技巧を称える特別なコレクションです。しかし同時に、それは“地理的な物語”を語るシリーズでもあります。CHANELはこのコレクションを通じて、その土地の文化や美学、職人技と深く対話し、過去の記憶を現代の美に再編するという挑戦を続けています。
たとえば2022年、セネガルの首都ダカールでは、西アフリカのビーズや刺繍、豊かな色彩をCHANELのサヴォワフェール(職人技)で再構築しました。これは、文化の装飾的引用にとどまらず、現地アーティストや職人との共同制作によって生まれた、新しい文化的表現でした。

image by CHANEL
2023年にはイギリスのマンチェスターを舞台に、ツイードという伝統的素材と、同地の音楽カルチャー──ジョイ・ディヴィジョンやオアシスに象徴される“反骨と抒情”の精神──が融合しました。繊維産業の歴史とサブカルチャーの現在が交錯するコレクションは、まさにマンチェスターという都市の二面性を見事に体現していました。
そして2024年は中国の杭州が舞台となりました。ガブリエル・シャネルが愛した「コロマンデル屏風」の描写に見られる杭州の風景は、蓮や翡翠、漆といった中国の伝統工芸とCHANELのクラフツマンシップを呼応させる鍵となりました。テクノロジー都市としての一面も持つこの地で、CHANELは“古典と革新”の融合を詩的に表現したのです。

CHANELは単に“グローバルラグジュアリー”の旗を掲げているのではなく、土地と文化に向き合い、“文化の仲介者”として機能しているのです。
ここで改めて、それぞれの都市が持つ背景を、もう少し深く掘り下げてみましょう。
ダカールはセネガルの首都であり、西アフリカにおける音楽・アート・文学の中心地です。植民地時代の歴史とそこからの独立、そして多様な民族文化が交差するこの都市には、抑圧と抵抗、そして創造の歴史が刻まれています。サハラ以南の現代美術の旗手たちが育ち、音楽ではンバラやヒップホップといったジャンルが日常に根付いています。CHANELがこの地を舞台に選んだのは、そうした生きた文化の息遣い、そして人々が育んできた「語り継がれる美」を、新たな言葉で翻訳するためだったのかもしれません。


image by CHANEL
マンチェスターはイギリスの産業革命の中心地として発展し、「コットンポリス(綿の都市)」の異名を持つほど、世界的な繊維都市としての顔を持っていました。しかしこの街は、工業の街にとどまらず、20世紀以降はポップカルチャーと音楽の震源地としてもその名を刻みます。特に1980〜90年代にかけて、ジョイ・ディヴィジョン、ニュー・オーダー、オアシスなどが登場し、労働者階級の魂と詩情が混ざり合った新しい美学を創り出しました。CHANELはこうした“反骨のエレガンス”を取り込み、ツイードという象徴的素材と組み合わせながら、マンチェスターの「野生と知性」をコレクションに昇華させました。


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杭州は中国浙江省の省都であり、かつて南宋王朝の首都として知られています。その美しさは古くから詩や絵画に詠まれた西湖をはじめ、中国的“風雅”を体現する場所として、文化史の中でも特別な存在感を放っています。一方で現代の杭州はアリババなどを擁するテクノロジー都市としても台頭し、古典と最先端が共存する稀有な都市となっています。ガブリエル・シャネルが愛した漆工芸の屏風「コロマンデル」は杭州の風景を描いたものであり、2024/25年のコレクションではこの街の詩的記憶がCHANELのクラフツマンシップと結びつき、現代的な詩情をたたえた衣服として表現されました。
3. アーカイブという記憶装置──CHANELが守る“時間の遺産”
CHANELが過去と向き合う姿勢は、アーカイブの扱いにも表れています。
※「アーカイブ(archive)」とは、ブランドの歴史や文化、クリエイションに関する記録、資料、コレクションを意味する言葉です。具体的には、過去のコレクションの素材やデザイン、ココ・シャネルの言葉、歴史的なイベントなどが含まれます。

@Philomode
2023/24年のマンチェスター・コレクションでは、1960〜70年代のブリティッシュカルチャー(パンクやモッズ)を、ツイードと組み合わせて新しいリズムで提示していました。
この「引用と再編」は、単なる過去の模倣ではありません。
CHANELにおいてアーカイブは“保管された資料”ではなく、“対話する素材”です。これらの資料は、CHANELのブランドイメージを維持し、ブランドの魅力を伝えるために活用されています。例えば、過去のコレクションのデザインを参考に、現代のコレクションを生み出すなど、ブランドのアイデンティティを継承する上で欠かせない役割を果たしています。
ラガーフェルドが晩年、ココ・シャネルのモチーフをポップアート的に再構築したように、メティエダールでもアーカイブは「生きた記憶」として編み直されているのです。
CHANELのアーカイブは、単なる記録以上の意味を持ち、ブランドの歴史と文化、そして未来を語る重要な要素と言えるでしょう。
それを可能にしているのが、ルサージュ(刺繍)、ルマリエ(羽細工)、マサロ(靴職人)など、歴史あるアトリエたちです。彼らの技巧と記憶があるからこそ、CHANELは“時間の遺産”を現在形に変換することができるのでしょう。
4. “過去”の解釈権を持つブランドとは──記憶のキュレーターとしてのCHANEL
文化や歴史に対する“解釈権”を持つということは、極めて政治的かつ倫理的な行為でもあります。
それは、どの文化をどう語るのか、誰の視点で再構築するのかを選ぶことであり、「誰が語るか」が「何が語られるか」を決定づける行為でもあります。
特に西洋のブランドが他地域の文化を扱うときには、文化を“借りる”ことが、無意識のうちに優位性や権力構造を再生産してしまうリスクも伴います。
ファッションのように視覚的影響力の強い表現においては、その語り方ひとつが文化の消費にも、尊重にもなりうるのです。CHANELは、ただのモードハウスにとどまらず、時代や地域の記憶をどのように語り直すかという点において、極めて慎重かつ戦略的です。
2024/25年の杭州コレクションにおいても、中国文化への安易なエキゾティシズムに陥ることなく、漆芸や工芸の文脈を丁寧に読み込み、CHANELとしての視点で再解釈していました。そこには「借りる」のではなく「学び、共創する」という姿勢が見受けられます。
つまりCHANELは、記憶を“所有”するのではなく、“編みなおす権利”を持ち、それを通じて“語る力”を得ているのです。
ファッションブランドでありながら、まるでミュージアムのキュレーターのように文化を扱うその姿勢が、CHANELの特異性であり、信頼につながっているのでしょう。
5. 未来へ接続される記憶──あなたにとって“継承”とは?
CHANELのメティエダール・コレクションを見て感じるのは、「継承」とは単に“守る”ことではなく、“更新し続ける意志”だということです。
過去を振り返り敬意を払いながらも、それを今の言葉、今の身体感覚で装いに変換する。その営みの中に、記憶と未来は静かにつながっているのではないでしょうか。
記憶をまとうこと。それは誰かの記憶を、自分の記憶として語り直すことでもあります。
メティエダールの服を着ることは、ある種の“文化継承の主体”になるということなのかもしれません。
PhiloModeとして、こう問いかけてみたいと思います。
あなたが継承したい“記憶のかたち”とは何ですか?
たとえば──
服を仕立ててくれた母の手、祖母の箪笥にあった絣(かすり)、かつて聴いた音楽と一緒に着ていたTシャツ、あるいは旅先で出会った刺繍。
一枚の布地に染み込んだ想い、袖を通すたびに思い出す風景、誰かから受け継いだ“しぐさ”。
継承とは、特別なものを所有することではなく、あなたの中で静かに受け継がれ、語り直されていく“記憶のかたち”をどう見つめ直すかということではないでしょうか。
それは服の中に、どのような形で息づいていますか?
あなたの装いのどこかに、その記憶は静かに生きているのかもしれません。